起きてることは一つ、解釈は無限

僕が生まれてしばらく

経った頃、

父親は既にいなかった。


母から聞くと

父親は僕が2歳の頃に出て行ったそうだ。


理由は父親の『浮気』だ。

母から一方的に聞いていたので、

それが本当かどうかは分からないが、

父親がいなく僕らを置いて出て行った事を

自覚した時は本当に悲しく寂しさもあった。


父親は一度も音沙汰なしだったかというと

そうでもない。


父親がしてくれて嬉しかった事がある。


それは、年に一度の誕生日には

必ずプレゼントを買ってくれていた事だ。


因みに、僕は4人兄弟だ。

4人の誕生日毎にプレゼントを

買ってくれていたのを記憶している。


毎年、誕生日が近づいてくると

何が送られて来るかと楽しみにしていた。


父親の行動で困惑した事もある。

母親が家にいる中、急に訪ねてきた

出来事があった。


確か小学校2年生ぐらいの頃だ。


母親は必死で父親を家に入れないよう

玄関を抑え大声を出している。


父親も負けずに大声を出し、

玄関の扉を開けようとしている。


父親は暴力を今から奮うのでは

ないかの勢いだ。


僕は『辞めて』と泣きながら叫び、

手に持っていた鉛筆を折っていた。


気がつけば兄弟と母親と車中。

母親は『逃げるよ』と言っていた。


その僕らが乗った車を

父親が追いかけて履いていた

革靴を投げてきた。


車に命中。


その日は車中で過ごした。


僕は血の繋がった恐怖を感じ子供ながらに

困惑した。



今僕には嫁がいる。

父親と母親に起きていた背景は

本当の所は分からないけれど、


僕は『同じような想いを家族にして欲しくない』と感じている。


父親を昔は否定して嫌うことは

あったけど、今なら違く捉える。


温かい家庭像に気づかせてくれている

父親に感謝している。


起こった事は一つでも

解釈は無限に満ちている。


過去をどう捉える?

今をどう捉える?

どうしたい?


この三つの事を自分にも

深くしみこませたい。


今悩んでいるのなら

捉え方のこだわりの癖があるのかも

しれません。


自分の物事の捉え方は

どこから来てるのか?それは

貴方次第なはずです。


自分の事を知る。


そのきっかけになれば嬉しいです。